自動車レ,スにかかわる者なら,誰もが夢見る世界最高峰f1グランプリ。F2, F3000によって着実に自動車レースの実績を積み上げたヤマハは,1988年,西ドイツのザクスピード・フォーミュラ・レーシング社とタイアップして”ウエスト・ザクスピード・ヤマハチーム”を結成した。ヤマハが独自に開発した75度V型8気筒,DOHC5バルブ3489 cc,最高出力600馬力以上を発揮する新エンジン“OX88を搭載したニューマシンで,1989年のF1グランプリに挑戦するためだった。

《ox66》エンジン(1985年)
“コスワス·ヤマハox77”エンジン(1987年)

すでに,F1へのステップアップを決めていた鈴木亜久里が新チームへ参加して,中島悟に次ぐ2人目の日本人F1レーサーとしての期待も高まった。結果は厳しいものだったが,1990年にはOX88に続く軽量でコンパクトなエンジン“OX99を発表。これは70度V型12気筒・5バルブ・3498 ccでOX88と同様に最高出力は600馬力以上を発揮した。

全日本F2シリーズ第1戦で“OX66”搭載の”3月F86Jに乗る松本恵二選手が優勝(1986年)
“コスワース・ヤマハOX77”搭載のフットワーク88 dで鈴木亜久里選手がF3000シリーズチャンピオンに(1988年)

1991年さらにのF1シリーズ第1戦・アメリカGPからは,この新エンジンOX99を搭載した”ブラバム・ヤマハ・フォーミュラワンチーム”での参戦となった。その後”ジョーダン・ヤマハ・チーム”,さらに“ティレル・ヤマハ・チーム”などで参戦。その後も継続的にF1へのチャレンジを続け,1997年には”アロウズ・ヤマハ・チーム”のデーモン・ヒルがハンガリーGPで2位に入るなどの戦績を残したが,同年を最後にF1レースから撤退した。

《ox88》でf1世界選手権に初参戦(1989年)
“アロウズ·ヤマハ(ox99)”

ヤマハはF1のエンジンサプライヤーとして,1989年からのべ8年間,116戦にわたって闘いを続けた。戦績とは別に,ここでも積極的な活動の継続を通じて,ヨーロッパのF1文化を構成する一員としての位置を確保し,多岐にわたる経験やノウハウ,人的ネットワークなど,貴重な成果を得ることになった。