“四輪バギ,”とも呼ばれるatvは,“全地形に対応するのりもの,”を意味する。ヤマハではATV事業のスタート当初からユーザーの生きた声を積極的に採り入れ,過酷なテストによる改良を繰り返し,新たな発想で市場を広げてきた。

“ビッグベア”(左)

やがてATVのマーケットは,発祥の地であるアメリカからヨーロッパ,オセアニア,アジア,そして日本へと広がり,日本では安心してダイナミックな走行が楽しめるATVランドも徐々に整備され,ファンライドのほかにも,その踏破性を活かして海岸パトロール等にも利用されるまでになった。また,アメリカに続く有数の市場であるカナダでは,ATVの通称としてヤマハATVの商品名である”ビッグベア”という呼び名が定着するなど,ヤマハATVは世界の各地で親しまれる存在に成長している。

その後,ヤマハのATVシリーズは,フィールドワークに最適な“YFM450”“YFM660ハイスペックなYFM660R》中堅モデルの“YFM350スクーター感覚の“YFM125エントリーモデル“YFM80など,次々にラインアップを広げていった。

四輪亚视の初号機“yfm200”(1984年)
カナダで親しまれている“グリズリ”

一方,やはり北米が生んだ商品の代表の一に,ウォタビクルがある。ヤマハでは早い段階からいわゆる水上オートバイ類の試作を行ってはいたが,当時のマリン市場の状況から具体的な商品開発には至らなかった。本格的な開発がスタトしたのは1983年。当初は立ち乗りタイプのモデルが検討されたが,幾度かの試作モデルの製作とアメリカでのテストを繰り返し,やがて”より安全に,より楽しく,より機動的に“航走できる新しいのりものという方向性を見出し,座り乗りという発想が生まれた。このコンセプトは,後にヤマハのウォ,タ,ビ,クルの方向性を決定付けることとなった。

“mj-500t”(1986年11月発売)
“mj-500s”(1987年1月発売)

こうして誕生したタンデムモデルは”ウェーブランナー”と名付けられ,1986年11月に新居工場でラインオフし,アメリカ市場にさっそうとデビューした。続いて1987年1月にはシングルモデルの“ウェブジャマ”を投入し,バリエション化を進めた。両モデルの市場導入は,それまでにないユ,ザ,層を創出することになった。それまで約万5000台だった世界のウォータービークル需要が,1987年に万1000台,1988年に5万7000台,1990年には10万台を突破するまでに成長した。