多くの来場者でにぎわった広州ヤマハ展示会

ヤマハと中国のかかわりは古く,1979年12月に開催した“広州ヤマハ展示会”がその第一歩だった。この展示会では,製品展示はもちろん,技術交流会や安全運転講習会も実施し,ヤマハの製品や技術力,企業姿勢までを広く中国の人々にアピールした。翌1980年からはモーターサイクルの輸出が始まり,1981年には広東省広州市に”ヤマハ広州サービスセンター”も開設した。

広州ヤマハサビスセンタ

その後,耐久消費財の輸入規制強化に伴う中国の政策により,完成車の輸出が認められなくなると,ヤマハは1983年,中国の北方工業公司・重慶建設機床廠と”ヤマハメイト(CY80)”の製造技術援助契約を結び,翌年6月にはCY80の生産を立ち上げた。このCY80は“重慶雅马哈”という結合ブランドで発売されて以来,人気車種となり,後に年産40万台の実績を収めることになった。

cjymで生産された4ストロ,ク“sr150”(1994年5月)

さらに1985年には中国航空技術進出口公司と技術援助契約を結び,同年7月に生産を開始。また1992年には建設機床廠と新合弁会社”重慶建設・雅馬哈摩托車有限公司(建設ヤマハ)“を設立することで合意し,4ストローク“SR150の6万台生産体制が実現した。続いて1993年には電装部品の”四川華川・雅馬哈摩托車部品製造有限公司(害羞)”を設立,1994年にはキャブレター製造の“重慶平山凱化油器有限公司(PTK)“と合弁契約に調印,また1995年にはサスペンション製造の“株州南方雅馬哈減震器有限公司(NYS)”と調印するなど次々に現地法人を設立し,部品の現地調達率を高めるよう努めた。

エスコ社で" rx100 "ランオフ

中国での現地法人設立が本格化したのと同じ頃,インドではトラクターや建設機械の大手メーカーであるエスコーツ社との間で“RX100の製造に関する技術援助契約を締結。1984年にはインド政府が開発したスラジプール工業団地に工場を建設し,インド第一のベストセラーモデルRX100を生産した。その後1996年に合弁会社”エスコーツ・ヤマハ・モーター株式会社(EYML)”を設立すると,2001年には100%出資会社として”ヤマハ・モーター・インディア(YMI)”に社名を変更した。

100%出資会社ymiの現地記者会見