第7節:次代を見据えた独創チャレンジ
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2016年10月,ヤマハの本社近くの敷地にevプロトタesc escプの“ped2”があった。先回の東京モ,タ,ショ,で出展されたモデルだ。全日本モトクロス選手権レディースクラス2015年チャンピオンの安原さや選手が,排気音もなくスルスルッと走り出しだした。”evの挑戦"の今を語るマシンから,彼女は何を感じるのか?音もなく加速していく未来のオフロドバクは···。

" ped2 "を駆る安原選手

ファミリラドへの挑戦ファミリラドへの挑戦

アルバニ,でtt-r90を駆る少女

ヤマハを駆る人たの挑戦は津々浦々で日々続く。それは9月の日曜は米オレゴン州の小さな街だった。アルバニーにあるオフロードコース,アルバニーモータースポーツパークは小雨模様だったが,フラットな周回コースをTT-R90で楽しそうに走る少女がいた。“1年前,このコスでジェソンさんからバクの乗り方を教えてもらった。それから2ヵ月に1度くらい楽しんでいるんだ。今日はほかのバereplicationクも乗れるのかな?と。バereplicationクは面白いかい?と声をかけると恥ずかしそうに“酷!と。パパの暖かな眼差しのむこうを走る姿には,自分には分らない未来の可能性に挑戦する9歳があった。

実はこの日,本コ,スでは“デモ·プログラム”が開催されていた。TT-R50EからYZ450Fまで,ヤマハのオフコンペモデルが勢揃い,好みのマシンを無料で試乗ができる。その運営を受け持ンズ氏だ。2008 AMAナショナルHareスクランブル総合など6のタトルホルダだ。

この日も2017年モデルが並んだ。YZ85目当てに父と来た女の子,初めて250ccモトクロッサ,に乗ろうと母と来場した学生。他ブランドと較べてみたいと乗る人。レベルも思惑も様々だ。タブレットで参加受付をする僅かな時間の会話からレベルをチェックし,それに沿ったアドバ。初めてのYZ250F体験ライダーには,丁重にアクセル操作を伝え,バイク操縦の基本となる8の字走行にアドバイスをする。レベルにあわせてラ▪▪ダ▪▪の挑戦を応援する。

この"ヤマハ·デモ·プログラム"がスタ,トしたのは2010年。当初は1回で10,15人ほどの参加であったが,回を重ねるにれ参加者が増えていった。2015年は述べ約14000人が参加した。シ,ズン中はほぼ毎週末どこかの地域で開催。年間でカバ,できない州は,数えるほどの州だけだ。レ@ @ンズ氏は言う。

“デモ・プログラムでは,もちろん子供たちにバイクの乗り方を教えることもあるが,本当は子供たちにモータースポーツという新しいスポーツを紹介すること。そしてブランドに親しみをもってもらうことだと思う。新しいことに挑戦するのに積極的な人やバイク初体験の方まで,様々な方がいるが,自分の子供たちが何かに挑戦して欲しい,と家族でやってくる方々が多い。

そこで私たは乗り方を教える。それで子供たちがバイクに乗るようになると,次は親たちも乗ろうと思うようになり,その流れでバイクを楽しむ人が1、2、3人と増えていく。

参加してくれた方々はまた,楽しかった思い出,新しいヤマハバesc escクに乗れたことを友達に話してくれる。その話題が広がり年々人気となっている。ソシャルメディアの中では,“次はい?”“あれと同じ▪▪ベントはい▪▪やるの?”“次週はどこでやるの?”といったコメントをくれる。地域によっては年1回開催という州もあるが,お客さんはそれを楽しみにしていてくれて,揃ってイベントに来てくれとる”。ソフトとしてのオフロドラン普及への挑戦の今を,ジェソン氏は熱心に語るのだった。

“ヤマハ·デモ·プログラム”参加受付ピット

オフロ,ド活性化への挑戦オフロ,ド活性化への挑戦

コンペで汗を流すヤマハラダを応援するシステム“bLU cRU”はオフロド活性化の挑戦である。2014年から亚博比分官网雅马哈汽车公司,美国(YMUS)がスタ,ト。日本でも2016年に始まったYZのオーナーに向けたレース参戦サポートプログラムで,台湾やオーストラリア等でも実施に向けて準備が進められている。走りを磨くスク,ルからWebでの情報交換まで,様々なメニュ,がある。オフ系ラesc escンナップの充実に呼応した“ソフト”だが,源流を遡ると1970年代に辿り着く。DT-1に始まるオフモデルの普及にあわせ,ヤマハは日本を中心に”トレール教室”や,コンペを楽しむ“SLレース”を開催,オフユーザーとのパートナーシップを築いていった。

米国でもその頃,同じプログラムがあった。ymusは"ヤマハ·チ,ム·センタ,"を展開した。オフのレーシング志向のユーザー向けに,ディーラーに情報提供し,またレースを主催し,レース場での交流を図り,そしてレース用キットパーツの提供を行っていった。ところで,当時の普及プログラムと,現在日米他各地で展開の“布鲁cRUを比べるといったい何が違うのだろうか吗?ロサンゼルス郊外にあるymusに,デニス副社長を訪ねた。

全く同じだよ!と。デニス氏は力強く話てくれた。“我々は今日も,バイクをモデファイするためのパーツ提供などを通じ,ディーラーとコミュニケーションしている。各種の技術情報についても,ソーシャルメディア,ビデオ,ネットなどの通信手段を媒介にユーザーとコミュニケーションできる。ユーザーの年代層も変わってきたが,ある世代からある世代へと移るということは,コミュニケーションの手段が変わってきているということ。“bLU cRU”の取り組みはまさに,現在のラダたとのコミュニケションである。我々のサポ,ト活動は,ラ,ダ,に直接的に提供される。ウエブ上にプラットフォームを設け,彼らが互いに語り合い,それぞれのアイディアを発表するソーシャルメディアを用意してコミュニケーションの場を広げている。もろんこれは,ディラを締め出すというのでは全くない。ヤマハとディラのコミュニケションの中に,ユザに加わってもらうということだよ”と。

《bLU cRU》参加者対象escベント(爺が岳,2016年)
《bLU cRU》参加者対象escベント(爺が岳,2016年)

ファンラ电子邮箱ドに挑戦したファンラ电子邮箱ドに挑戦した

“tt-r125” 2000年デビュ,の“tt-r125”

こうした各地のオフ体験esc escベントで定番人気となっているのがtt-r125。ヤマハのオフスピリットを語るとき,これ抜きでは進まない。端緒は1990年代も終わるころ。1998年シーズンに向けて,4ストローク市販YZ400Fを誕生させYZブランドは輝きを増していった。ただヤマハは,amaや世界選手権といったトップカテゴリ,での結果だけに満足することはなかった。すでに当時tt-r90を発売し子供たの夢を膨らませていた。しかしサ@ @ズは大人向けではなかった。楽しそうにTT-R90を操る子供たちをみて,親たちは自分も手軽に遊べるバイクがあれば・・・と夢をもった。80ccのモトクロッサも存在したが,絶対的スピドを要求するのではなく,ファンラドに惹かれた。ヤマハのオフロドマニアたも同じだった。

1992年創業の重慶建設·ヤマハモタサクル有限公司は,中国での日系初の二輪車合弁会社だ。1990年代終盤,ヤマハ本社と重慶では中国市場に適合するオンロード用125 ccモデルの企画が進んでいた。日·中·米を行き来していた本社商品企画のスタッフも,実は誰もが認めるオフロ,ドマニアだった。ある日閃めいた。“この125ccエンジンは,オフのファンラ▪▪▪ド用に凄い潜在力があるはずだ”と。検討を重ねて“挑戦”の方向がまとまると企画·開発·設計は滑らかに流れた。yzのノウハウが沢山あったからだ。誕生したのが他ならぬ“tt-r125”。日本でのデビュは2000年。コンセプトは"ワ▪▪”。専用に手が入れられた125 ccエンジンはバランサー内蔵のSOHC・2バルブで54×54㎜のボアストロークで5速ミッション。前19个大气圈ンチ,後16个大气圈ンチだった。

その84kgの軽いボディとフィット感はビギナ,から幅広く受けた。自然な操舵感と操縦性は上昇志向ラ▪▪ダ▪▪に勇気を与えた。アクセル全開を楽しめる爽快感は上級者の話題となった。pw50の息子を先導するのにも役立った。ヤマハのオフラインナップは,ステップアップを誘うピラミッド構成となっているが,その中でTT-R125は一番幅員の広い”架け橋”である。ラダの“挑戦”を支える125ccである。

徹底したマス集中化とデジタル化に挑戦した徹底したマス集中化とデジタル化に挑戦した

デジタル化の挑戦もエポックだった。2009年発表し翌年向けにデビュ,したyz450fは,ヤマハ初のfi搭載のyz。ただし単純なfi化でもデジタル化でもない"走破性"へのこだわりがあった。市販モトクロッサ,がfi化する流れのあったあのとき,fi採用に限っていうとヤマハは後発だった。ただ既存のFI搭載モデルの殆どは,従来キャブレターがあった所にFIを置き換えていくというものだった。このyz450fの開発ではそのスタンスを捨てた。マス集中化という操縦性開発の基本を肝に,白紙からの出発だった。fiを採用することが前提にあったわけではなく,“fiを如何に走りに活かすか?”に挑戦。タンクの位置や吸排気系のレ▪▪アウトで自由度が広いfiのスペ▪▪ス的な特徴が活かされた。導いた結論が<後傾シリンダ,·ストレ,ト吸気,·後方排気>であった。フロントのダクトの吸入孔から新気を取り込み,ボディ中央のエアクリ,ナ,を通じポ,トに送る。燃焼後は襟巻のようにエキパ▪▪がシリンダ▪▪回りをグルリと一周。このレ@ @アウトで性能とマス集中化を達成。吸気孔が前にあるのでエンジン熱の影響を受けず,自車の走行ダストも吸い込みにくかったのだ。

fiのメリットを活かし誕生した“yz450f”(2010年モデル)
“YZ450F”のディテ、ルと“功率调谐器”
“YZ450F”のディテ、ルと“功率调谐器”

さらにエンジンセッティングの楽しさを,デジタル化で広げていった。fiは走行環境に応じ燃料供給を自動補正し,走りのレベルを上げる。しかしセッティングの楽しみが消えては寂しい。マニアたの,また技術者たの心理だった。そこで,YZ450Fとのペアで誕生したのが,スマートフォンサイズの“权力调谐器”だった。燃料噴射量と進角特性を,基準マップをもとにした調整ができ,自分流にアレンジできる。

一般にモトクロッサーのセットアップは,ライディングポジション,サスペンション調整,エンジンセッティング…の流れが基本と言われるも,特に決まりはない。人が操るマシンであり,人の技量,感性次第。だから自分の好み,着眼点からスタ,トできるのが“Power Tuner”だ。気軽にセッティングの世界に入りこめる。その“功率调谐器”は,その後4ストロ,クYZ, YZ- fxに展開されていく。デジタル化への足跡の中に,オフロ,ドマニア,ヤマハの個性が垣間見れる。

evという可能性への挑戦evという可能性への挑戦

大きくストップの合図を送ると,安原選手は戻ってきてくれた。丁寧にヘルメットを脱ぐと”おもしろい。おもしろい。オモシロ@ @と。スタトする前の静かさが気持よかったですよ。加速性ですか?いいですよ。私が乗っているyz85lwよりも,もしかしたらあるかもしれません。思っていた以上に速度が出ました。これならジャンプも出来そうです。本当に面白い乗りものですよ”と。

“ped2”の研究開発に携わるのもヤマハのオフロ,ドマニアた,である。安原選手の感想に応えながらこんな話をしていた。“いま多岐にわたるevのテマに挑戦しているところです。”ped2には,我々が研究開発したリチウムオン電池を積んでいます。将来の可能性はともかく,自分たがバッテリの研究開発に挑戦することで多くのデタを取れます。バッテリ,にとって優しい電気の使い方も模索できるのです。またevは,ガソリンエンジンと較べトルク特性も異なります。パワユニットのサズや重量との関係で,車両としての重量配分も異なってきます。さらにサウンドも大切な要素。モーター音,ブレーキ音,タイヤ音,チェーン音などが少しずつ絡んでくるのですが,ライダーに耳障りな音を極力消していこうと研究開発しています”と言う。

ヤマハはEVを単に地球環境問題の解決の契機として捉えるだけでなく,EVならではの特徴を活かし,EVの走りの楽しさを追い求めている。これも,ヤマハの次世代へ向けたチャレンジである。

研究開発が進む“ped2”
研究開発が進む“ped2”

参考動画参考動画

デジタル時代に即したコミニュケ,ション

“bLU cRU”思想の源は,今に始まったものではなかった。時代とともに移り変わるコミュニケーションツールを取り入れ,オフの魅力を積極的にアピールするYMUSの思いとは・・・。

ヤマハ·デモ·プログラム,人気の理由

米国で人気のヤマハ·デモ·プログラムは,初心者から上級者まで,またファミリ,での参加も多い。人気の理由と魅力をチフンストラクタが語る。