Vol.8ネキッドのスポバクらしさはどこで感じるのか。レプリカとは異なるハンドリングの感性追求

xjr1200に試乗する根本氏(1994年)

ビッグネキッドのスポ性を求めるむずかしさ

前編より続く

ネ▪▪キッド▪▪ブ▪▪ムは400だけでなくビッグバ▪▪クにも飛び火した。カワサキがゼファーの750と1100を相次いで投入したのに続いて,ホンダもCB1000ビッグ400をスーパーフォアのイメージ・リーダーとしてデビューさせたからだ。ヤマハもxjr400を完成させると矢継ぎ早にxjr1200の開発に着手した。
“400のときと同じで先行ラ电子邮箱バルを徹底的に研究しました。
ゼファ1100とcb1000はキャラクタがまったく違いますよね。ゼファ,の方向性はドッシリ安定感があって緩やかなフィ,リング,いかにも大型車という感じ。ビッグ1はまずデッカタンクもシ,トもその大きさを主張している。ところが走ると軽快なんですね。ただ我々の感性ではここまで軽快だと不満がある”。
“ヤマハとしてはオーバーナナハンとしてのビッグバイクらしさを表現したいが,ゼファーまでいくとスポーツ性で不満がでる。そうかといってCB1000レベルの軽快さはビッグバイクとして軽々しく感じるだろうというところに落ち着いた”。

xjr1200(1994年発売) xjr1200(1994年発売)

xjr1200(1994年発売)
国内向け専用モデルとして開発されたXJR1200は”94年に発売。本文中にもあるように,国内における日常域のハンドリングが優先され,そのためのエンジン特性が設定された。また1200 ccビッグバイクでありながら,スポーツ性も考慮され,ポジションはコンパクトにまとめあげられている.FJの流れをくむ空冷4気筒エンジンは,ボア×ストローク:77.0×68.3毫米,排気量1180 cc,最高出力97 ps / 8000 rpm,最大トルク9.3 kgf・米/ 6000 rpmを発揮した。

400年の乗って楽しめるエンジン特性からハンドリングが決まっていったのと違い,1200はさすがにビッグバイクらしくハンドリング・キャラクターを決めてからエンジン特性がそれに合わせていくということになったのだ。“ビッグバクは主要マケットの欧米のニズに合わせて開発してきたわけです。”しかしXJR1200は初の国内のユーザーに向けたビッグバイクということで,アウトバーンを走らせなくても良い。これだけで気がラクでしたね”。カウルのないビッグバイクなどヨーロッパで価値を認められないといった時代が続いていただけに,開発段階では国内のニーズだけに合わせれば良かったのである。因みに国内販売の後,ヨ,ロッパにも輸出され,徐々に人気が高まっていった。

“しかし,誰も公言こそしなかったんですが,車重が200公斤以上もあってエンジンが1200 ccもあるバイクを,たとえば箱根でスポーツ性といってもどう楽しめるのか,当初は正直なところそれが本音でした。そこで実際に伊豆までビッグバesc escクを駆って思いきり走ってもみた”。
市販のバイクでこれだけの大きさとパワー・トルクがあると,とてもワインディングでパフォーマンスをフルに発揮するというわけにはいかない。しかし国内向けにスポ性を楽しめる方向を模索しようというのだ。あらためて考えてみればわかるように,実はビッグネイキッドのキャラクター設定は,メーカーにとってはじめて取り組むテーマでそれなりにむずかしかったのである。

ハンドリングをエンジンチュ,ンで得る

“エンジンは実際に使う領域の2? 3000 rpmで充分なトルクがあるよう要求しました。基本的にフラットな出力特性が狙いです”。xjr1200の空冷4気筒は,ヨロッパ向けfj1200のものがベスだ。超高速クルジングが最優先されたバクなので,中速以上の高回転域連続使用を前提としている。全面的な特性変更ということで,セッティング変更程度では得られない特性だ。
主な使用回転域ですから,低中速域にはこだわりました。実際に開発を進めていくと微妙なニュアンスの多いデリケ,トな部分なんです。バesc escクを車重ではなく乗って重い軽いを感じるのも,エンジンのトルク特性ですから。ここが決まってこないとサスもタesc escヤも決められないほど重要です”。
“リッタバクにも乗ろうかというラダは,コナでスロットルを開けて走るわけですよね。その手前からのパ,シャル状態から開けていく,そこの特性の質を問うことになる。もろん唐突では困るしスムズでも力強さを感じなくてはいけない”。

xjr1300空冷4バルブエンジン(1998年モデル) xjr1300空冷4バルブエンジン(1998年モデル)

xjr1300空冷4バルブエンジン(1998年モデル)
98年には,排気量を100ccアップし最高出力を100psとしたXJR1300となった。

超高速域でパフォーマンスを発揮するテストが中心だった開発スタッフにとって,低回転でスロットルを開けた途端のスナッチングやピッチングが出ない特性を追うというのはほとんどはじめて経験する質のトライだった。しかし,確かに我々がビッグバイクを日常コントロールするのは,この低中速域のスロットル・コントロールが主役だ。
“バイクをこう動かしたい,そのためにはエンジンの特性もこうしたい……ハンドリングづくりにエンジンをチューンしたわけです”。

“たとえばUターンでエンジンのツキが唐突なのでバランスを崩さないようRブレーキを引き摺りながら,などというテクニックがありますね。xjr1200でこれは許されない。大変でしたけれど,納得のいくバaaplクづくりを,じっくり時間をかけてできたので楽しかった。レプリカの260 ? 270 km / hという未踏の領域で,試行錯誤を繰り返すよりは身近なテーマでテストのシチュエーションが限られる超高速域と違って実際に何度もトライできる。開発時間そのものはレプリカと変わらなかったんですが,具体的なところに長く時間をかけられたこともあって楽しかったですね”。

こだわりはさらに深く

こだわった低速域もさることながら,中速域以上のハンドリングもスポーツ性を感じるというテーマのために,つくり込みにはたっぷり時間をかけている。
“レプリカ時代が長かったため,スチールパイプのダブルクレードル・フレームの開発は暫くなかったわけです。だからといってFJで開発したラテラル・フレームも,いくら実績があるといってもネイキッドのルックスを考えれば採用するわけにはいきません。そこでパプのサズをベスに,ガチッとして安心できるフレムを目標に新規のものをくった。300km/hでの剛性感という意味ではない,安心感を狙っています”。
“スポーツを感じさせたいということで,ライポジもゆったり余裕のある方向ではなくコンパクトにもっていった”。1200 ccのエンジンを抱えるため,さすがに大柄な車体ではあるがハンドル幅など確かに人車一体を目指した設定だ。
cb1000の軽快さに対して安定性を感じるキャラクタ,です。これはスタッフが皆同じ感性なので,まったく迷わず決まっていった。いつも論議の的になる軽い重いのところも,ヤマハとしては以前より軽いフィーリングになってきたこともあって,このXJR1200ではとくに誰からも問題にされませんでした。このxjrから実験スタッフも次の世代が中心になったこともあるでしょうね”。

xjr1200に試乗する根本氏(1994年) xjr1200に試乗する根本氏(1994年)

xjr1200に試乗する根本氏(1994年)

xjr1200デビュ,当時の雑誌広告

xjr1200デビュ,当時の雑誌広告
ハンドリングと空冷ビッグネ@ @キッドの造形美を狙った一葉

開発スタッフの価値観も予め線引きを明確にしてあったため,たとえば6000 rpmは国内では既に結構な領域,つまりライダーにとって限界域に近いという考え方だ。4? 5000转あたりがペ,スを上げたときの中心という設定である。そこにこだわる感性ですべてくり込まれている。
“ブレキの効き方ひととってみても,レプリカならテストコスでokが出せます。”絶対的な制動力がまず優先されて,そこから過渡の特性を扱いやすいものにしていく。ネイキッドは効く感じというハードなブレーキング以外でも感性が求められるので,もっとデリケートですね”。

そうしたこだわりが,オ,リンス製rサスの採用などにながったのはいうまでもない。ビッグトルクで,大きく重いバイクを乗り心地まで含めスポーツ性を感じさせながら満足のいくレベルに仕上げるには,サスペンションも相応に高コストなものが必要だったわけだ。
XJR1200は後発ビッグネイキッドとして戦列に加わり,その後多くのファンを獲得しながらいまも人気車種としてリーダーのポジションを堅持している。いかにもベテラン・ユーザーがXJR1200のビッグな車体を操り,人車一体で颯爽と駆け抜けるシーンをみていると,開発スタッフのこだわったネイキッドバイクのヤマハ・ハンドリングの重みを感じずにはいられない。
こうして生み出されたXJRは排気量を上げたり,ハンドリングの変更を受けたりしながらモデルチェンジを繰り返し,21世紀の今も現役としてラインナップされている。
(以下次号)