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GP500からMotoGPへ。yzr-m1の活躍

2009年年企画展第2卷

2009年企画展Vol.2
頂点をめざして雅亚博比分官网马哈摩托车赛车历史- 1955年开始·後期

GP500からMotoGPへ。並列4気筒·yzr-m1の活躍
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ウェイン・レイニーがレース中の事故によって現役を退いたあと,ヤマハチームは,ケニー・ロバーツやレイニーも才能を認めたライダー阿部典史を獲得。19歳の若さで世界gpへ送り出した。すると阿部は,フル参戦2年目の'96年,日本GPで500cc初優勝。99年さらにリオGP, 2000年日本GPでも勝利を収め,つねにランキング一桁に入るトップライダーへと成長していった。
またその間,ヤマハチームには元250 ccチャンピオンのルカ・カダローラ,マックス・ビアッジなど実力派ライダーがあいついで加入。ファクトリ,マシンyzr500も着実に性能アップし,タ,トル奪還を狙った。しかし果たせぬまま,時代は21世紀へと移り,世界gpにも大きな変革の時が訪れた。これまでのGP500に替わり,990 cc・4ストロークマシンによる新しい最高峰クラス,MotoGPがスタートしたのである。
ヤマハチ,ムのマシンは,並列4気筒エンジンを搭載するyzr-m1。2ストロークに慣れたライダーの違和感を減らす出力特性,軽快な操縦性に配慮し,優れたトータルパフォーマンスを追求した。そして04年,卓越したライディング技術と開発能力を兼ね備えたバレンティーノ・ロッシが加入すると,チーム戦力は飛躍的に向上。開幕戦から9勝を挙げてヤマハチーム初のMotoGPチャンピオンを獲得し,“05年にはライダー,メーカー,チームの3タイトル制覇でヤマハ発動機創立50周年に華を添えた。

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