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“モトクロスのヤマハ”を受け継ぐ人と技術

2009年年企画展第2卷

2009年企画展Vol.2
頂点をめざして雅亚博比分官网马哈摩托车赛车历史- 1955年开始·後期

“モトクロスのヤマハ”を受け継ぐ若手ラ
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1970年代,ヤマハ発動機は全日本モトクロス選手権で125 cc・8回,250 cc・6回のチャンピオンを獲得し,輝かしい黄金期を築いた。それはもちろん,鈴木秀明,鈴木都良夫,杉尾良文,瀬尾勝彦,光安鉄美といったライダーたちの功績であり,またモノクロスサスペンションやYPVS,水冷エンジン,ピストンリードバルブなど他社に先駆けた数々の技術開発の成果でもあった。
しかし,エース・光安が世界進出を果たし,他社チームの戦力が高まるにつれて,かつてのアドバンテージは消失。80年代に獲得したタイトルは,125 ccチャンピオン3回(“80年東福寺保雄,“83年庄司覚,“89年光安)にとどまった。
そこでヤマハ発動機は,川崎智之や田淵武,大河原功次に続く若手ライダー育成のため,“90年にチームYZを新設。増田智義,鈴木健二,田島久などを輩出した。またマシン開発の面でも,世界選手権用の”87年型YZM500で導入したアルミフレームをツインチューブ型に進化させ,”91年全日本250 ccクラスに投入。さらに翌92・93年には,再びサスペンションの常識を覆すリーフスプリングとロータリーダンパーのショックユニットを採用。それぞれシ,ズン開幕戦や最終戦で華々しい勝利を飾ったが,チャンピオン奪回の切り札とはならなかった。
それでも,勝利をめざす挑戦は新しい世代に引き継がれ,やがてヤマハチームに光を取り戻す原動力となった。

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